山口蓬春の画家としての出発は洋画である。
中学時代に黒田清輝の白馬会研究所に通い、東京美術学校では西洋画科に進んだが、その後日本画科に転科する。
当時興った新興大和絵運動や六潮会への参加、また奈良の春日大社で名所図絵を描くアルバイトをしていたことも、新日本画を築く要素となったことだろう。
洋画から日本画への転化は川端龍子もそうである。
日本画に、洋風なスマートさ、爽やかな明るさを加えた画風が山口蓬春の新日本画を独自なものにしていく。
一九六五年に文化勲章を受賞し、三年後の七十五歳の時、皇居新宮殿の壁画「楓」を完成している。
山口蓬春が七十八歳で死去した後、春子夫人は、作品やアトリエの行く末を案じていたが、JR東
海生涯学習財団に管理を託した。
JR東海の須田寛社長の父親が洋画家の須田国太郎氏であることからの縁である。